ペンタクラブ行事
記事・写真
No:61

文:橘さん
写真:富士
昔の写真:?
      


ペンタクラブ発足20周年記念シャツ制作によせて
1993〜2013
                                        橘 忠晴

 発足の発端となったのは、子供サッカー(きぼう子供会)のボランティアコーチ達の危機感でした。
教える子供の数とコーチの数が同数となり、このままでは体を動かす機会を失ってしまう・・・・。
 そこで目をつけたのが、北小の第2グランド(現在の駐車場)にあるテニスの移動可能なポールで、
このポールの持ち主が北中のソフトテニス部という複雑な関係でした。早速、北中のテニス顧問に
話を持ちかけて日曜日の早朝7:00〜9:00の間ポールを使わせて貰うことになり大人のテニスクラブ
として産声を上げました。当時は貧乏で購入したボールに連番をマジックで書き入れて、終了時に
数を確認するという涙ぐましい努力もありました。
 コート当番もポールを立て、ラインを石灰で引くという手間の掛かるもので(男性担当)、女性は
皆の飲む麦茶等の飲みものとコップを洗ってくるというものでした。
 ペンタクラブの名称は暫く経過した時点で応募という形をとり、初期のシャツデザインも同時に皆
の多数決で決まったものです。デザインは高橋勉さん、名称は橘が応募したものです。

   今回の20周年記念シャツは2013年3月の総会の席上で、クラブとしての行事からは外す決定がなされ、
 発足当時から参加している私としては記念の品物が欲しい〜〜。となり賛同者を募って製作に踏み
 切ったことになります。

呼びかけ人 飯島恵子、高橋勉、高橋信雄、高橋留以子、橘忠晴

 出来映えは当初心配しましたが、中々の出来具合にホットしたのも感動ですね。
 週遅れの4マンション親睦大会(9/23)に間に合い、皆で着用におよび、
 20年の歳月がいかに早く訪れたのもショックです。

 さらに30年、40年と続くことを祈って終わりにします。みんな元気で頑張りましょう。
 最後に記憶を頼りにしましたので、間違っている箇所はゴメンナサイです。


写真で巡る思い出のペンタクラブ20年
さあ誰が誰で?当ててみましょう