ペンタクラブ行事
記事・写真
No.405

写真:黒木さん・みんな
    文章:辰巳さん
    


                   ペンタコート最終日

                                     ペンタコート  
                     ―コート整備に燃えた男達の秘話―

 本日(10月15日)ペンタコートに最後のお別れを告げました。
 冷たい雨の降る中、2基の倉庫を載せたユニック車を見送りおさらばです。
 最後まで残って頂いた黒木会長、横ちゃん、宮本さん、奨君夫婦有難うございました。

 ペンタコートは北小の第二グラウンドの跡地利用として30年前にスタートしました。
 ペンタクラブ、子供の希望サッカー、ドッチボールクラブ等地区の老若男女の活動の場として土、日曜日中心に活動開始です。
 朝7時から時間割で第二グラウンド(ペンタコートと現駐車場)をフルに使わせて頂きました。
ペンタとしては早朝では朝7時からお茶当番のママさんがポットにお茶を用意して頂き、コート整備ではまず石灰でテニスのライン引き、
コートネットのポールは埋め込み式の部分は、設置&ネット張、
第三コートでは移動式のポールのチェーン用アンカーの埋め込み打設からスタートです。

 誰も苦にせず3面完成後は、当時若かりし木田さんをチーフに練習又練習の日々でした。
 コートのサーフェイスはひどい物でした。学校のグラウンド定番の岩瀬砂でスタート、
イレギュラー等は「朝飯前」で、曲がりくねったラインのアウトセーフに興じていたプレーは今から考えると懐かしい思い出です。
 時が経ちました、少子化による第二グラウンドは秋山さんに返還され、現ペンタコートの広さ限定で、子供サッカーとの共用期間を過ぎ、
ペンタ専用の時期に入りましたが土地の使用料の重圧がペンタメンバーに重くのしかかって来ました。
 苦渋の選択によりメンバーに多大な負担を伴ったものの、単独使用が可能となりました。

 ペンタ専用になってからはコートの整備向上を目指し、メンバー総出でコートサーフェイスをテニス本来の仕様に変更すべく知恵を絞りました。
 八柱テニスクラブ(クレイコート仕様)のコート支配人にヒアリングをし、クレイの材料やメンテ方法など入手して検討を重ねました。
 その結果、表土を荒木田土を含む配合に置換したり排水勾配の変更など総力を挙げ炎天下で作業を続けました。
 当時のコート表面の〔土質構成〕は表土厚1.5cmの砂と岩瀬砂の混合層で、以下岩瀬砂層10cmその下に現地土(関東ロームの粘土層)でした。 
 改良目標は以下の手順で実施を考えました。
 表土層の撤去(約3cm)→現地発生土と荒木田土の混合作業→撤去部分への散布
ボリューム的にはBコート分だけで40リッターバケツを70杯分=トータル3m3
にもなりました。混合土の散布後は散水し塩カルを撒き転圧締固めと続きます。
 表土の掘削と散布は男衆が、土の篩分けは女性陣が分担しました。散布には排水勾配も考慮した作業となりました。
 これらの仕様でどのような効果が上がるか先ずBコートで実施し、問題なければAコートの予定を組みましたが、
いずれも大きな改良効果を収めました。

 更に冬場の霜対策にも大量の塩カル散布が必要でした。厳冬時(1月~2月)雨や雪の合間を縫って一週間に一度程度実施、
毎年の塩カル購入量はコート整備費の多くの割合を占めました。記録を調べたところ一回に40袋(1袋=25kg)分75,000円(約二年分)の
塩カルを橘さんの尽力で、安価なルートで購入していました。
 又、ラインも専用テープを釘で埋め込む方式を白砂さんが中心となって高精度で仕上げ、八柱に負けない出来栄えを確保しました。
 ペンタクラブ会員のプレーレベルも向上し、サーブ&ダッシュの基本を忠実に繰り返してゆく内、
雨水の溜まり場所がテキスト通りの守備位置に出来るようになったのです!
 つまりただ走り回るのではなく、サービスラインの内側の特定なスポットがえぐられ降雨の後は水溜りが出来るようになって来ました。
 その後の修復は、酒井さんが懸命にやってくれた丁寧な表土の篩分け砂を使い、若手も
ローラー掛けに励み見違えるようなコートに仕上がって行きました。(謝々)

 Mリーグの試合でも、これまでペンタコートではやりたくないと某チーム等からは
拒否されていた状態が、時が経つと菓子折り持参でOKとなりました。
 数々の変則リバウンドも今は昔、快適な日々を過ごすことが出来るようになりました。
 これはメンバーの皆さんのコートに対する愛情の賜物と思ってます。


 次にコート内付帯設備の数々にも汗と涙の思い出が詰まっております。

 コート周辺のテニスボール飛散防止用ネットの設置では、高さ4.5mのポールには、
市販品のネット(幅2m)では足りず1m分のネットの継ぎ足しが必要になりました。
D棟集会棟で夜間に当時のうら若き?女性陣総出のネット繋ぎ針仕事をして頂きました、何とその総延長は130mにも及びました。

 飛散防止の設計には、台風時にワンタッチで上下可能な当方のアイデアで設置し何度かの台風を乗り越えることが出来ましたが、
台風時にその進路予測と前日からのネット降ろし作業が必要で、事前に操作の講習会まで開き都合の付くメンバーが毎回総出で対応しました。
それでも隣の駐車場との境のポール1本が台風で折れてしまいましたが、幸い車への被害は無く、
急いで間隔を詰める補強をすべく2本のポールを追加設置しました。
ネットも風雨にさらされると風化しほころびが出て来て、プレー中にボールが飛び出すことも有り、
その度に漁師の網の繕いよろしく穴を手作業で修復しましたが、今となっては
楽しい思い出です。

 コート用ネットも、当時の会員の伝手で東京都の有明コートで使用済み(何と公式のトーナメントで使用したものは一年毎の交換!)の物を
何度か拝借し利用させて頂きました。

 夏場には欠かせないベンチ周辺のテント張についても一言。
 ペンタクラブでの楽しい一時に欠かせないのはベンチでのおしゃべり。その上にテントは夏場の日差し除けには必需品でした。
 ホームセンターで秋口に安売り状態のベランダ用テントを買い込み、家庭用のミシンで
繋ぎポールを立ててワイヤーを貼りカーテンの様にセットしました。(幅5m程)
 問題はその展開方法ですが、当方の苦心の傑作がポールの根元に付けた糸巻き(ボビン)
です。逆回転防止式で複雑にストッパーまで付けました。しかし素人の浅知恵で丁寧に巻かないと機能しません。
当方不在の時、どなたかが強引に巻き込み故障!
 それ以来、改良を加え親しい方には使用方法をご指導しましたが、だれも使ってもらえませんでした。
今は我が家で思い出の品として寂しそうに保存されてます。

そして又、会員が自宅で不要になった物(椅子、倉庫、テーブル、スコップ、工具等)を有料廃棄に替えて偽善的に??持ち込んでくれたものも
有効に活用させて貰いました。
特にジョー君が寄付してくれた大型倉庫はピカピカの上物で大いに役立ちました。
コート終焉の際は、“紫陽花テニスクラブ”の方が譲ってほしいと引き取りに来ましたが大き過ぎて断念して帰りました。
処理業者の方でも無傷で運び出し有益な利用が期待されます。

明日からはジプシーのコート生活が始まりますが、何時までもペンタコートを忘れないで思い出してください。
最後に、長い間快くコートの土地を貸して下さった秋山さん有難うございました。

未だに、これまでの30年間の数々の思い出が走馬灯のように脳裏をよぎり、
涙が止まりませんが、ここで静かに筆をおかせて頂きます。
                                                      (文責:辰巳 勲)